どまんなかセンター

袋井駅から北へ徒歩約10分。原野谷川にかかる静橋を渡ると公園の横に木造の建物があります。
「旧中村洋裁学院」・・・かつて、多くの女学生がここで洋裁を学んでいました。

一部は大正時代の住宅部分が残り、そして昭和の戦後まもなく建てられた校舎は、原野谷川と共に、市民の皆さんの原風景となっています。

この建物を、持ち主である中村様よりお借りし、通称「どまんなかセンター」として、コミュティーの場、創造を育む場として活用しています。

この建物の保存活用は、倉布人のライフワークとなっています。

現在の活動の様子は  Instagram:どまんなかセンター でお知らせしています。

◆これまでの経緯を綴った文が、月刊「区画整理」2018年1月号に掲載されました。
 その掲載文を基に、どまんなかセンター(旧中村洋裁学院)のこれまでをお伝えします。

まちの拠点づくりへ<在るものを活かす>

◆わが町「静岡県袋井市」

私の住む「静岡県袋井市」は、東海道五十三次の27 番目の宿場で、東⻄の丁度真ん中に位置し「どまんなか」を売りにしている。駅前の商店はまばらで、かつてのにぎわいはない。高級フルーツ「クラウンメロン」も袋井の名産とは知られていない。

「ジュビロ磐田の隣の市」とか「静岡県でも浜松に近い方」と説明するしかない。


自然が豊か、のんびりしていて、人々はそこそこ幸せに暮らしており生活の危機感は感じられない。それはそれで幸せなのだが、田んぼが埋め立てられ画一化された街並みに変わり、幹線道路には全国チェーンの店舗が並ぶ、そんな光景を見ていると、これでいいのだろうかという気持ちにもなってしまう。


街が繁栄した明治〜昭和初期時代の建物は、ほとんど残っていない。昭和19 年の東南海地震で多くが倒壊した。残すべきか議論された建物もあったが維持管理等を理由に解体されている。なんでも残せばよいというわけではない。が、様々な所を旅すると「街並」や「景観」は、地域の個性や生活文化をあらわすものだと感じるのだ。


◆街の中に残された洋裁学校

袋井駅から徒歩10 分弱、二級河川の「原野谷川」が流れている。その川を渡る橋の袂に、懐かしい風情の木造の建物がある。

「旧中村洋裁学院」通称:どまんなかセンター


戦後間もなく各種学校の認可を受け、昭和24年から平成5 年まで多くの女学生が洋裁を習っていた。増改築を重ね、大正時代の建物を一部残し、主な校舎部分は昭和25 年に建てられた。私にとっては自分の学区と異なる川向こうの風景で、薄く記憶にある程度だったが、知人家族がこの建物を借家していたことで、改めて知った。

暫くしてその家族は引っ越し、建物のその後が大変気になった。マンション建設の噂も流れていた。


市のほぼ中心に位置し半世紀以上も、多くの人々の往来を眺めてきた建物である。原野谷川とともに袋井の人々の原風景にある建物が、簡単に壊されることだけは避けたいと思った。建物の1階にはお箏教室があり、洋裁学校が縮小化された昭和57 年頃からずっと週2 回の稽古が行われ、お箏の先生が建物に風を通すなど、常に見守ってくださっていた。


隣市に住む家主の中村さんに連絡をとり、残していきたいという御意向を伺って安心した。2004年のことである。

建物調査を行い、水辺からのまちづくり、景観も含めた保存活用の提案書を市に提出したのだが・・・。市内ではJR 新駅(愛野駅)、エコパスタジアムが造られ、サッカーW杯、国体と、たて続けに開催された直後で、新しいまちづくりがどんどん進められており、過ぎた時代を振り返る流れではなかった。夢は停滞した。

◆アートのチカラ<どまんなかセンター>

2009 年、市の文化施設 月見の里学遊館で招聘したアーティストユニット「ナデガタインスタントパーティー」。彼らが袋井にリサーチに訪れた際、建物を紹介し、家主の中村さんは、若いアーティストの話しを真剣に聞いてくださった。


2010 年10 月から彼らが中心となり、学生や市⺠有志と建物内部の修繕を行った。そして同年12月の1 ヶ月間、ニュースタイル公⺠館「どまんなかセンター」と名付けられ、様々な催しが開かれた。

洋裁学校に通っていたかつての女学生が写真を持って来館し、市内外、全国からも様々なゲストが訪れ、多くの人々で賑わった。しかし、あくまで期間限定。アーティストの残していったものは大きく、去った後はみんなの心にぽっかり穴が 空いた・・・

中村さんは、引き続き建物を利用することを快諾してくださり、私たちは時折集まって宴を開いたり、小さなワークショップを行ったりしていたが、アーティストがいた時の求心力は失っていた。

◆被災写真洗浄ボランティア活動

2011 年3 月・・・東日本大震災 発生

同年5 月のGW。どまんなかセンターで、地元の写真店のすずやさんが、泥で汚れた写真を洗浄し被災地に送り戻すという「写真洗浄ボランティア活動」を始めた。

当初は数人だったのが新聞やTVなどで報道されると、毎週日曜日、市内外から多くの皆さんが参加していった。静岡県にいながら被災地の為に何かしたいという純粋な想いが人々をつなげた。

活動は2 年半続き、「どまんなかセンター」は次第に周知されはじめた。しかしあくまでも、古い建物であることを理解して参加する仲間内での使用に留めていた。

◆周辺の環境と一体とした活用

建物に隣接する公園は訪れる人も少なく、存在すら知られていない様であった。

2014 年、進まぬ中心市街地活性の実践を、イベントという形で試みた。

以前に月見の里学遊館で開催したイベントのノウハウを活かされた。宣伝はSNS とクチコミ、仲間たちとデザイン力とアイディアで会場を構成し、費用も驚くほど少なく抑えた。

このイベントがきっかけとなって、公園や川と一体となった「まちのにぎわいづくり」が注目されることになった。

行政や自治会の方々の協力により、イベントは現在も年1 回程開催している。

◆まちの拠点へ(文化財として活かす)

老朽化する建物について様々な意見がでたが、市の管理下におけば自由な使い方はできない。そこで、常葉大学の土屋和男教授に所見をいただき申請したところ、2017 年5 月に「国の登録有形文化財」の指定が決定した。これにより、建物の価値を示すことができ、容易に解体されることはなくなった。そして、建物の維持活用とアート&コミュニティを目的に法人化。「(一社)どまんなかセンター」<平成29年(2017年)6月5日>
同年3 月には「国際なかなか遺産」の第4 号として認定され、12 月には「袋井市景観重要建造物」の指定も受けた。

市⻑からは「公園や水辺と一体となった活用を市としても考えていきたい」という言葉をいただいた。旧中村洋裁学院と出会って15 年ほど。やっと周囲の理解を得て、本当のスタートをきることができる。

さて、そのために建物の補強計画を行い、伴う費用などをどうするか考えていかなくてはならない。実現すれば「まちの拠点」として、人々の創造の場として、様々なことが出来得るのだ。

◆ふくろいすまいの相談センター

袋井市の空き家対策事業として、何かアイディアがないか。という相談を受け、何気なく言った一言から話しが進み、結果、建物の半分の耐震工事が行われることになった。
「ふくろいすまいの相談センター」・・・新設されるこの部署を、どまんなかセンターの中に入れることを名目に補助金で改修することになった。
とはいえ、その補助金でも全く足りず。半分を団体と個人で負担した。全く人生をかけてしまっている。それだけのことをする価値がこの場所にあると信じている。

やっと、袋井市と家主の中村さんと、私たちと、正式な契約関係を結ぶことが決まった矢先、中村さんが逝去された。ご遺族のご理解を得ることが出来、契約に基づき改修工事を行い、やっと本当のスタートをきることができた。
が、そこにコロナ禍・・・ 人々が集うことを目的としたこの場所・・・
かなり気持ちが落ち込んだが、その中でもやれることはある。

これからまた、少しづつ、創造の輪を広げていきたい。
ここは東西南北の交差点。ヒト、モノ、コトが交わる場所。

そして、何かを創り出す場所なのです。